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データドリブンなプライシング~従来のプライシング手法の課題解決に必要なもの~(後編)

公開日
2022.12.09
更新日
2024.02.18

※前編はこちら

データサイエンティストの笹島です。

2022年現在、世界的なインフレ、原油高、円安などによって幅広い分野で商品の調達コストが上昇した結果、値上げが相次いでいます。「プライシング=自社が販売する商品の価格設定をどのように行うか」、多くの企業は多大なる危機感をもってこの課題に取り組んでいることと思われます。

本記事では前編・後編に分け、上記の課題に対するソリューションとしてデータドリブンなプライシングを紹介し、小売企業での導入を念頭に、導入時の問題点と対応策について述べたいと思います。

後編ではデータドリブンなプライシングをできるだけ速やかに実運用させるための工夫や、実施可能性や収支改善効果の検証(POC:概念実証)など、現時点での導入に必要な考え方・手段を述べます。

基本的なアプローチ:データ蓄積の必要性

前編で述べたように、現在の状況においてデータドリブンなプライシングを導入する場合、過去における販売数とそのときの価格の履歴データ(以下、「販売数ー価格データ」)を用いて予測モデルを構築すると、予測精度が低くなる可能性が高いと考えられます。

このため、予測モデルを構築する際は値上げ以降のデータのみを用いるという前提に立つ必要があります。その上で、値上げ後の時間経過とともに様々な価格での「販売数ー価格データ」を蓄積することで、予測モデルが「販売数ー価格データ」の変動パターンを徐々に把握できるようになり、それにともなって最適価格の予測精度が十分に向上したところで実運用に移行するというのが、現時点での基本的な導入アプローチとなります。


精度向上までの期間の短縮

プライシング業務の特性などにもよりますが、販売数ー価格の変動パターンを十分に把握し、最適価格を適切に予測できるだけのデータを蓄積するには少なくとも数ヶ月間は必要でしょう。しかし、前編で述べたような課題に迫られている場合、最適価格の予測精度はできるだけ早く向上させたいところです。

このとき、価格を積極的に変更しながら販売数の変化を見ていくことで、十分な量の「販売数ー価格データ」をなるべく速やかに蓄積するというアプローチが考えられます。こうすることで十分な予測精度が得られるまでの期間を短縮でき、実運用化をより早く実現することが期待できます。

いわゆるダイナミックプライシング(動的な商品価格設定)の手法はこのようなアプローチに対応可能です。ダイナミックプライシングを用いた同様のアプローチは、Rue La Laや Walmart、アリババといった海外の小売企業で多くの事例が存在し、国内でも徐々に適用事例が増えています。

なお、価格変更には値札の上書きという作業が付随します。ECサイトの業態を取っている場合は価格変更の工数を抑えられるため、このような価格変化を伴うアプローチが取りやすいとされます。実店舗においても、電子棚札の普及が進んでいる場合は、現実的な工数で同様のアプローチを取ることが可能です。


精度向上までの利益減少などを抑える

2022年の値上げのように商品価格が急激に変化した場合、その後に蓄積した「販売数ー価格データ」のみで十分な予測精度に達するまでにはしかるべき期間が必要です。その間のビジネス指標(例:商品が挙げる利益)は、仮に最初から最適価格が分かっていた場合に比べ悪化(利益減少など)すると想定されます。必要な投資とも解釈できますが、この悪化の程度はできるだけ抑えることが求められます。

以上を可能にする手段として、AI技術の一つである強化学習が挙げられます。この強化学習の考え方を取り入れたプライシング手法がいくつかの企業で提案・実証されており、これらを参考とすることで、データドリブンなプライシングを導入する際のビジネス指標の悪化の程度を抑えることが期待できます。

バリュー表現による予測精度の向上

ここまでデータ蓄積に関連して精度向上の工夫を述べてきましたが、前編で述べたように、効率的にバリュー(消費者の商品に対する感じ方が価格に与える影響)を表現できることがデータドリブンなプライシングの強みです。蓄積しているデータ次第で様々なバリューを表現することができます。

前編で述べた例だと、長期(数カ月間程度)の気象予報データを購入・蓄積している場合は気象による購買意欲の変動を表現でき、それを適用することで季節性のある商品の最適価格の精度向上が期待できます。

また、「在庫限り」など限定性を訴求する広告・表示の実績データがあれば、そのような施策を行った場合の最適価格の予測精度を高めることができるでしょう。そのようなデータがなくても、商品在庫が少なくなった段階で広告などが行われていると判断できる場合は、在庫データを使ってそのようなバリューの影響を表現することが考えられます。

ID-POS(顧客情報と紐付けられた購買実績データ)が使用できる場合は年齢、性別などによる消費者層ごとの「在庫限り」などの情報に対する反応の違いを把握することで、よりきめ細やかな価格設定が行える可能性があります(ただし、この場合は消費者間で異なる価格を設定することになるので不公平感が生じるリスクもあるため、不公平感を緩和するための方策の検討が別途必要です)。

このように、蓄積しているデータを工夫することで様々なバリューを表現することによっても、より速やかな最適価格の精度向上を期待することが可能です。

データ蓄積のその他の工夫

データドリブンなプライシングを導入するための工夫の一つとして、積極的な価格変更によるデータ蓄積を挙げました。しかしながら値上げを含む価格変更を頻繁に行うと消費者が不信感を抱くことが知られており、ブランド・企業に対する消費者の離反を招くというリスクがあります。

消費者の不満を避けるため、商品や状況によっては価格変更の方法を工夫する必要があります。

例えば、アパレル業界における下着類のような定番商品について考えてみましょう。このような商品は季節を問わず常に販売規模が大きく、仮にデータドリブンなプライシングによってその定価を最適化できれば収支改善の効果は大きいでしょう。しかしそのような商品は消費者が離反した場合のリスクも大きいことから価格変更が極めて難しく、結果として「販売数ー価格データ」を蓄積すること自体が困難という状況が考えられます。

現状におけるこのような商品のデータ蓄積の一案として、ある程度値上げが行われている場合(2022年秋の時点では該当する商品が多いと思います)に、様々な値下げ幅のクーポンをランダムに発行し、販売数の変化をデータとして得るという手法が考えられます。値下げであれば消費者に不満は生じにくく、クーポンという形態なので値下げが一時的な措置である点が許容されやすくなると期待できます。結果として、定番商品について消費者の不満を軽減しつつ価格変更に対する販売数の変化をデータとして蓄積することが可能になります。

※ただし、実際の値下げとクーポンとでは、値下げ額に対する販売数の変化が異なるという研究(中川ら, 2017¹)もあり、クーポンを使ったデータ蓄積を行う場合はクーポンによる販売数の変化を補正すべきか検討する必要があります。

このように、一見価格変更が不可能と思われる商品でも工夫次第でデータ蓄積がある程度できる可能性があります。

着実に実証できるプライシング業務から導入

ここまでは値上げ後のデータのみを使用するという前提に立ち、予測精度向上までの期間を短縮するための工夫などを述べました。しかし、データドリブンなプライシングの実運用化(以下、施策実施)には、なおしかるべき期間が必要となるでしょう。長期的なプライシングの課題解決が目的だとしても、施策実施のための投資や実現可能性に疑問の声が上がり、導入推進の障壁となるかもしれません。

このような問題への対応策として、施策実施までの期間も加味しつつ、より確実に施策実施が見込めるプライシング業務から順に導入していくことで、データドリブンな手法の効果を着実に実証するということが考えられます。

単純化した例として、ある小売企業の中でセール時の値下げ額の設定と、自社開発した商品の定価の設定という2つのプライシング業務が存在する場合を考えてみましょう。データドリブンなプライシングで最適な値下げ額と定価をそれぞれ予測する場合、データ蓄積によって十分な予測精度が得られるまでに必要な期間は、以下のように異なってきます。

  • 値下げ額の設定:様々な値下げ率で販売することにより短期間で多くの「販売数ー価格データ」を蓄積することができ、比較的早期に適切な最適価格(値下げ額)を予測できるようになると考えられます。特にECサイトのように価格変更の工数が小さく、地理的な制限がない環境ではその傾向が強くなると期待できます。
  • 定価の設定:値下げに比べ定価変更の機会は限られることから、販売数ー価格の変動パターンを十分に把握できるだけのデータを蓄積するにはより長い期間が必要でしょう。また、季節商品のようにライフサイクル内で販売数の規模が大きく変動するものは、更に長期間のデータ蓄積が必要と考えられます。

このように、施策実施までに要する期間はプライシング業務ごとに変わってきます。この例をみると値下げ額の設定、定価の設定(定番商品)、定価の設定(季節商品)の順に施策を実施するのが適切に見えます。

ただし、この他にもデータドリブンなプライシングが、施策として実現可能であるかを確認する必要があります。これについてはまず、企業が蓄積しているデータ(項目・時間間隔・レコード数など)、取り扱う商品群の特性(販売数ー価格の関係性が類似した商品が複数存在するかなど)、業務慣習による価格変更が可能な回数・頻度・価格帯などを把握することが必要です。そのうえでそれぞれのプライシング業務について、データドリブンなプライシングを導入する場合の要件を定義し、技術面および業務面から施策の実施可能性を評価します。

これらの結果を踏まえ、施策実施までに必要な期間も考慮しつつ実施可能性が高いプライシング業務から順に導入を図っていくことで施策の効果を着実に実証し、上記の疑問の声に対してデータドリブンな手法の有効性を説明できるようになります。その結果、残りの施策実施に向けた機運の低下を防止しつつ企業のプライシング業務を広く改善していくことが期待できます。

データドリブンなプライシングの定量的な効果検証

前節では、企業が持つデータ、扱う商品、価格変更が可能な範囲などを踏まえ、データドリブンなプライシングを導入する場合の要件を定義することを述べました。しかし、この要件だけでは、例えば収支改善が実際に可能なのかを事前に知ることはできません。

このため、まずはこの要件に従ってデータドリブンなプライシングのPOC(Proof of Concept:概念実証)を実施し、収支改善などの導入効果を定量的に検証する必要があります。そのような検証の具体例として、企業が持つデータを使って予測モデルを構築し、一部のユーザー・店舗などに対してモデルで予測した最適価格を適用し、従来の手法で設定した価格との収支の差異を検証するということが考えられます。両者の差異から十分な収支改善効果が見込めないと判断される場合には、例えばアルゴリズムの修正やさらなるデータの蓄積後に再度予測モデルを構築して最適価格を予測、収支の差異を検証するというサイクルを回しながら、予測精度の改善を図っていきます。このような改善を図った上で、導入による収支改善効果を試算することで、最終的な施策実施の可否を検討することが可能になります。

このようなPOCの実施にあたっては、データ分析の専門知識を持つデータサイエンティストがプライシング担当者と会話しながら実施方法を検討していく必要があります。また、前節で述べたような要件定義を先行して行う場合は、この段階で実施すべきPOCの内容を検討することが可能です。

データドリブンなプライシングの導入の先に

後編では2022年の値上げ前の「販売数ー価格データ」が使えないことを前提として、データドリブンなプライシングをできるだけ速やかに機能させるための工夫、要件定義やPOCなど、現状において導入するのに必要な考え方・手段を述べました。

前編で述べたような従来のプライシング手法の適用が困難という問題が実際に存在する場合、後編で述べた工夫を取捨選択してデータドリブンなプライシングの導入を検討すべき、という所までが本記事の範囲です。しかし、POCなどによりデータドリブンなプライシングの導入を決定し、予測モデルで十分な精度の最適価格を予測する道筋を作ることができても、そこで導入が完了したわけではありません。

本記事で述べた予測モデルを運用するには、実際のプライシング業務に展開するための検討が必要です。この予測モデルには、重要な構成要素としてAI技術が含まれています。そのようなモデルを運用に供するためには、一般にMLOpsの考え方が必要になります。従って、データサイエンティストとエンジニアがMLOpsに従って運用体制を検討し、既存システムへ組み込むことが求められます。

また、予測モデルの運用に伴って、プライシングのみならず他部署をも巻き込んだ業務変革を行うケースも考えられます。このような場合には、データ分析に関する専門知識を持つコンサルタントの支援が必要かもしれません。

このような幅広い施策を検討・実施した先に、データドリブンなプライシングによる問題解決や収支改善が初めて視野に入ってくることでしょう。

おわりに

前編で述べたように、この記事の公開時点(2022年秋)では、コスト上昇により適切なプライシングが非常に困難な状況にあると考えられます。そのような眼前の危機だけでなく、元々あったプライシングの困難さをも改善しうる手段としてデータドリブンなプライシングを紹介しました。後編では、小売業での導入を念頭に、現状においてデータドリブンなプライシングを導入する際に必要な工夫、検証などについて述べました。

これらを取捨選択して取り入れ、「販売数ー価格」の変動パターンを十分に把握できるだけのデータを蓄積することができれば、バリュー(消費者が商品に対して感じる価値など)も考慮した上で、利益を確保可能な商品を見出すことができ、それらに適切な価格を設定することができます。これにより、全体としての収支改善が期待されます。

また、データドリブンなプライシングを実際のプライシング業務に適用するためには、前節で述べたようにエンジニアやコンサルタントの協力も想定されます。プライシングに限らずデータを活用した業務改善は、企業の基幹となりつつあるデータによってシステム・業務のあり方の変革を迫るという側面を持っています。プライシングに関する問題を実際に抱えている方は、後編で述べたような工夫・範囲を視野に収めて解決に臨まれることを願っています。

参考文献

  1. 中川宏道, 星野崇宏 (2017). ポイント付与と値引きはどちらが効果的か?: マグニチュード効果を導入したプロモーション効果の推定. 流通研究, 20(2), 1-15.

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