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政府は、近年行政や企業のDX推進のための環境整備に力を入れています。そのような政府の説明の中で、しばしば「ダイナミック・ケイパビリティ」という用語が登場します。この言葉は企業戦略論における学術用語であり、DXを必要とする理由を端的に述べたものとして注目されています。
今回は、ダイナミック・ケイパビリティについてビジネスパーソン向けにご説明します。学術的な説明は最小限にとどめ、企業やビジネスパーソンにとってどのような意義を持つ用語なのか考えましょう。
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ダイナミック・ケイパビリティは学術用語なのですが、近年、政府によるDX関連の資料に引用されるようになりました。その概要と、必要とされる背景を整理しましょう。
経済産業省による『ものづくり白書』では、以下のように説明されています。
ダイナミック・ケイパビリティとは、環境や状況が激しく変化する中で、企業が、その変化に対応して自己を変革する能力のことである。
その背景には、企業の戦略行動や業績を規定する要因について研究する戦略経営論の歴史があります。経営学の大家であるマイケル・ポーターは、企業外部の産業構造や業界の状況がこれらを規定すると論じました。しかし、多くの実証研究によって同じ産業や業界内部でも企業ごとに戦略行動や利益率などの差異の存在が明らかとなり、ポーターの「競争戦略論」の限界が指摘されるようになりました。
これに対し、企業内部にある固有の資源を利用する能力=ケイパビリティこそが、企業の競争力の源泉であるという「資源ベース論」が新たに提示されます。企業ごとに異なる競争力の差を、ケイパビリティの有無や量で説明しようとする学説でした。
しかし、企業固有の資源も環境や状況の変化の影響を免れません。かつて強みだった要素に固執するあまり、企業戦略が硬直化して変化に対応できなくなることもあります。つまり、強みが弱みへ転化してしまうわけです。特に、変化が激しく不確実性が高いとされる現代社会において、変化への対応は最重要の経営課題となっています。こうした課題を解決するための経営論が新たに必要となっていました。
こうした流れを踏まえる形で、変化の中で競争力を維持するための能力として、ダイナミック・ケイパビリティが提唱されるようになったのです。ダイナミック・ケイパビリティ論は、不確実な現代社会を生きる経営者やビジネスパーソンのための戦略経営論と言えるでしょう。
ダイナミック・ケイパビリティ論では、ケイパビリティを「オーディナリー・ケイパビリティ(通常能力)」とダイナミック・ケイパビリティの2つに分けて考えます。ダイナミック・ケイパビリティの必要性は、オーディナリー・ケイパビリティと比較すると明確になります。
オーディナリー・ケイパビリティとは、与えられた経営資源をより効率的に利用して利益を最大化しようとする能力です。労働生産性や在庫回転率のように、特定の作業要件に関しての測定と、ベスト・プラクティスとしてベンチマークとすることができます。
しかし、オーディナリー・ケイパビリティを高めるだけでは競争力を維持できません。他企業による模倣が容易であり、変化への適応とは関係ないからです。場合によっては、オーディナリー・ケイパビリティが高いゆえに適応のための変革コストも高くなり、結果として「現状維持が最適解」と判断されて変化に適応できなくなるリスクもあります。オーディナリー・ケイパビリティが、弱みに転じて企業を危機に陥れることすら考えられるのです。
だからこそ、企業内外の資源を再構成し、自己を変革するダイナミック・ケイパビリティが求められます。保有するオーディナリー・ケイパビリティの限界について自覚的になるとともに、環境や状況の変化に適合できているか否かを批判的に感知し、必要があれば企業変革を厭わない姿勢である必要があります。変革に成功すれば、新たに構築されたオーディナリー・ケイパビリティのもとで効率性を再び追及できるようになるのです。
ダイナミック・ケイパビリティは、以下の3つの能力に分類されます。
・感知(センシング):脅威や危機を感知する能力
・捕捉(シージング):機会を捉え、既存の資産・知識・技術を再構成して競争力を獲得する能力
・変容(トランスフォーミング):競争力を持続的なものにするために、組織全体を刷新し、変容する能力
これらの中核をなすキーワードが、「再構成(オーケストレーション)」です。資産を環境や変化に合わせて再構成する能力は、外部から調達することが難しいため、内部で構築する必要があります。これを構築できれば、他企業には模倣されにくいため長期的に維持されやすく、結果として企業競争力の向上と維持に大いに役立つわけです。
ダイナミック・ケイパビリティは環境変化の激しい現代社会に必要不可欠な能力であり、企業がこれを養うことは極めて重要な経営課題と言えます。ダイナミック・ケイパビリティを養う方法と、日本企業の現状と課題についてまとめます。
時代の荒波に揉まれながらも生き残る企業は環境へ適応できており、すなわちダイナミック・ケイパビリティが高いと推測されます。したがって、長く存続する企業のダイナミック・ケイパビリティは高いとものづくり白書では論じています。
また、ダイナミック・ケイパビリティ論では、ダイナミック・ケイパビリティの中核には企業内部の長年の学習によって構築された、模倣困難な文化・遺産があるとされています。そのため、長く存続する企業は企業固有の文化・遺産を豊富に蓄積している可能性があることになります。
デジタル技術は、企業のダイナミック・ケイパビリティを向上させる可能性があります。ものづくり白書では、ダイナミック・ケイパビリティの三要素である「感知」・「捕捉」・「変容」をいずれも増幅させるとしています。
たとえば、デジタル技術を活用したデータの収集や分析によって、脅威や危機の「感知」能力は高まるでしょう。また、AIは環境や状況の変化を予測し、不確実性によるリスクの低減に効果を発揮します。
機会を捉えてリソースを再構成する能力である「捕捉」にとっても、データの収集・分析は大きな武器となります。顧客データをフィードバックして製造・開発などに役立てる技術は、顧客ニーズを捉えて企業の資産・知識・技術を再構成し、顧客体験価値を新たに想像する機会として作り出すものです。
さらに、競争力を持続させるために組織全体を刷新する能力である「変容」は、デジタル技術によって「DX」として実現できると言えます。
以上のように、ダイナミック・ケイパビリティの向上とデジタル技術およびデータの活用、DXは密接な関係を持っています。
ものづくり白書では、日本製造業が他国より高い上昇率で労働生産性を向上させていること、製造業全体の4分の1が100年以上の歴史を持つことの2つを根拠に、「我が国製造業にはダイナミック・ケイパビリティが高い企業が比較的多いと考えられる」としています。
その一方で、グローバルに拡大した製造業のサプライチェーンは、コロナ禍でその脆弱性を露呈したと評しており、ダイナミック・ケイパビリティの点からは難があったとしています。また、新たなビジネスモデルの構築やサービス開発のためのIT投資が進んでおらず、デジタル技術によるダイナミック・ケイパビリティの構築が進んでいないとも論じています。
日本企業は、デジタル技術とデータを活用したDXの実現によって、ダイナミック・ケイパビリティを構築するべきである、というのがものづくり白書の結論となっています。
ダイナミック・ケイパビリティは、DXを進めるための学説的な根拠となっています。変化への適応は企業にとって重要な経営課題であり、言い換えればダイナミック・ケイパビリティの構築と蓄積が競争力の維持・向上のために欠かせません。ダイナミック・ケイパビリティを知ることで、DXの重要性を経営学の観点から理論的に理解できるようになるのです。
【ものづくり白書から読み解くシリーズ】
・【ものづくり白書から読み解く①】日本の製造業におけるDXの課題とは?「エンジニアリングチェーン」と「サプライチェーン」を実現するデータ活用
・【ものづくり白書から読み解く②】製造業DXで重要とされる「設計力」とは
・【ものづくり白書から読み解く③】製造業に及ぼす5Gの影響は?
・【ものづくり白書から読み解く④】製造業のDXを推進する人材とは?
・【ものづくり白書から読み解く⑤】ダイナミック・ケイパビリティとは?
・【ものづくり白書から読み解く⑥】サプライチェーンにおけるサイバーセキュリティの今
(参考)
経済産業省「ものづくり白書 第1部 ものづくり基盤技術の現状と課題 第1章 我が国ものづくり産業が直面する課題と展望 第2節 不確実性の高まる世界の現状と競争力強化 2.企業変革力(ダイナミック・ケイパビリティ)の強化」
デジタルトランスフォーメーションの加速に向けた研究会「DXレポート2(中間取りまとめ)
経済産業省「DXレポート ~ITシステム「2025年の崖」克服とDXの本格的な展開~」
この記事の続きはこちら
【ものづくり白書から読み解く⑥】サプライチェーンにおけるサイバーセキュリティの今
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